未来を形作るのは今このとき|小説『流星ワゴン』
黒い背景に小さくぽっかりと浮かぶ月、左下にはガソリンスタンドの看板。
文庫本の表紙にはたったそれだけしか描かれてないけど、むしろそのそっけなさから深夜の独特の静けさや寂しさが伝わってくるようで、妙にその時の気分にしっくりときた。
そんなわけで、初めて重松清さんの作品を読むことにした。
主人公は仕事も家庭もどん底にある38歳の男性・カズ。
「死んじゃってもいいかなあ、もう…」とつぶやきながらぼんやりとしていると、どこからともなく現れた不思議なワゴンとそれに乗った親子。彼らに導かれ、カズはどん底の現実につながる分岐点であっただろう過去の場面に、カズはタイムスリップを繰り返す。
1度目は、一年前の夏。
平日の昼、新宿の雑踏で、妻かもしれない女性が男と肩を組んで歩いていたのを、きっと人違いだろうと決めつけてフタをした日だった。
過去と同じように、妻を目撃するも、後を追いかけずそのまま商談先に向かうカズを強引に引き止めたのは、なぜかその場にいた、38歳の、
つまり今のカズと同い年の父だった。
父に連れられ妻の後をつけたカズは、妻の不貞の現場を目の当たりにし、疑惑は確信に変わった。
しかし、その事実を知ってもなお、家に帰り妻と顔を合わせても、同じ床についても、問い質さなければ、昼間の事を言わなければと思っても過去の自分の振る舞いを全く同じようになぞるだけだった。何も知らない愚かな過去の自分が妻との会話で笑っていても、心の中ではどうしようも無い未来に向けて、結局何も変えることができずに涙を流すのだった。
こんなふうにカズは何度かタイムスリップし、しかもタイムスリップする過去の日付は、着々と現在に向かって近づいている。過去いるはずのなかった38歳の父・チュウさんの存在によって、少しでも未来を変えるべく、過去の行動を変えようとするも、結局は息子との関係も、妻との関係も、カズの行動は裏目裏目に出るだけで結果は変わらないのだった。
それでも、きっとこれが最後のタイムスリップ、という日、現在から半年前の息子の合格祈願の日、もう3人で穏やかに過ごせる日にはどうしたって戻れない事を受け入れたカズは、自分は気が触れたと思われてもいい、お金も居場所もなくなってもいい、妻と息子だけは、どうか穏やかに幸せに暮らしてくれ。そう心から願ったカズは、ある大胆な行動をとる。
ここまでしても、結局カズは不思議なワゴンに乗った親子との旅を終え、サイテーでサイアクな現実に戻ってくる。結局、過去へのタイムスリップで必死に取った行動のどれも、今の現実には反映されておらず、「現実は甘くない」のだった。
そんななかでも、確かに変わったものは一つあった。カズが、今の行動なら変えることができる。これからの未来は今の行動が形作る、ということに気付いたことだ。
今がどれだけ情けなくても空回りしても、ここからがスタートなのだと、カズは確かに新たな一歩を踏み出したのだ。
妻のこと、息子のこと、父親のこと、知っているようで何も知らなかった自分にこれでもかと向き合わされる気分とはどんなものだろう。ずっとよかれと思って行ってきた結果の積み重ねが結局は無駄だったと目前に突きつけられるのは、どれほどの無力感だろう。
それでも最後に、カズが未来に向けて今できることをしようと思えたのは、どうしてもかえられない過去の中で、家族を心から愛していることに気づけたからなのだろう。
また、めちゃくちゃ折り合いの悪かった父親、チュウさんと「朋輩」という形で接していく中で、これまで知らなかった父親としての想いに触れていく様子もグッとくる。
38歳の平凡な男性に詰まった人生の味わいがギュッと濃縮されたような、濃厚な作品だ。