大きな潮に流されるような意志の漂い|小説『海と毒薬』
ある大学病院の医師たちが捕虜となった米兵に人体実験を行う話。
実験に加わった3名の、実験に加わるまでのそれぞれの心理が描かれる。
人命を救う使命を負う医師という立場で、物資も人も足りない中、為す術なく患者たちが死にゆく現状を嘆き、それでも大きな力に抗えない医学生勝呂、人の痛みが理解できないが、期待されることは難なく読み取ることができる秀才医学生戸田、男に騙され、荒んだ毎日を送る看護士上田。
日々人の生死を目の当たりにし、見方によっては生殺与奪の権利さえ持っているようにも見える外科に関わる者から見ると、しかも誰もかれもが死ぬという戦時下においては、人体実験というサイケな出来事も多々横たわる生死の出来事の一つのように見えてしまう。
勝呂は実験中、恐怖や罪悪感に耐え切れず半ば逃げ出したような恰好となり、その後も罪の意識がぬぐい切れずにいたが、後に彼も「同じ状況に置かれたら、また同じことをする」と振り返っている。
また、同じく実験に立ち会った戸田は、自らの手記において、読む者にこのように問うている。「あなた達もやはり、ぼくと同じように一皮むけば、他人の死、他人の苦しみに無感動なのだろうか。」
全体を通じ、人体実験に対する恐怖や苦しみ、葛藤というものの描写が【少ない】、というのがむしろこの作品の主題につながるところなのだろう。
全体を振り返り、三人のうち誰に共感するか、と問われた時の自分の答えに、再度凍り付く。
お気に入り度
★★★☆☆
あらすじ
生きた人間を生きたまま殺す。
何が彼らをこのような残虐行為に駆りたてたのか? 終戦時の大学病院の生体解剖事件を小説化し、日本人の罪悪感を追求した問題作。
戦争末期の恐るべき出来事――九州の大学付属病院における米軍捕虜の生体解剖事件を小説化、著者の念頭から絶えて離れることのない問い「日本人とはいかなる人間か」を追究する。解剖に参加した者は単なる異常者だったのか? どんな倫理的真空がこのような残虐行為に駆りたてたのか? 神なき日本人の“罪の意識"の不在の無気味さを描き、今なお背筋を凍らせる問題作。
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筆舌に尽くしがたいが、涙が止まらなかった。